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      <title>へんなかお～深海魚の不思議</title>
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      <description>深海で暮らす魚たちの顔は不思議でおかしくて、いとしい。</description>
      <language>ja</language>
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         <title>連盟の限界と時代的制約　4</title>
         <description>3国の間では、この国際機構の性格や任務などのあり方に関する考え方には大きな隔たりがありましたが・・・


この会議以後、設立に向けた精力的な作業が進められることになりました。


国連を創立するための本格的準備は、1944年8月、ワシントンのダンバートン・オークスで開かれた主要国の話合いで行われ、ここで主要な内容を含む提案がまとめられました。


1945年2月にソ連のヤルタで行われた米英ソ3国首脳会談(ヤルタ会談)では、国連の政治・安全保障面での中心的任務を担うことになっている安全保障理事会での投票権の仕組み(とくに大国の拒否権が認められるべき範囲)、ソ連の共和国の国連代表権の扱いなど・・・


残された主要問題について首脳レベルで協議が達成されました。


拒否権の問題は、あとで述べます。


ソ連の共和国の国連代表権という問題は、当時既に米ソ関係が必ずしも円滑ではなく、できるであろう国連でのソ連の劣勢が予想される状況があったことに原因があります。

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         <pubDate>Thu, 19 Jan 2012 14:16:29 +0900</pubDate>
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         <title>連盟の限界と時代的制約　3</title>
         <description>国際連合の活動については、改めて取り上げることとして・・・


ここでは、国際機構史上のこれまでの最終段階をなすものとして、国連の形成と性格について若干の説明をしておきましょう。


第二次世界大戦の最中の1942年1月、ワシントンで連合国宣言が署名され、その中で、よりよい世界を建設するためにこれら諸国が協力する用意があることを明らかにしました。


・・・具体的な計画立案の中心になったのは、アメリカとイギリスでした。


とくにアメリカのハル国務長官は、欧州での戦争が始まった直後からそのための準備作業を始めていました。


国際社会として普遍的な国際機構を設立する決意を明確に表明したのは、1943年10月にモスクワで行われたアメリカ、ソ連、イギリス3力国の外相会議です。

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         <pubDate>Mon, 19 Dec 2011 14:15:54 +0900</pubDate>
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         <title>連盟の限界と時代的制約　2</title>
         <description>経済的制裁は、本来軍事的手段(同条第2段)と補い合って発動されるものと想定されていました。


・・・ところが現実には、この条文の第一段と第二段との関係については、「経済的措置は義務的、軍事的措置は選択的」というニ者択一のものとする解釈ができてしまいました。


そのため、軍事的手段を背景としない経済制裁という武器そのものまでが無力となってしまったのです。


国際連盟の試みはわずか20年で流産しました。


・・・しかしそのことは、国際機構の存在理由を疑う雰囲気を生むことにはなりませんでした。


むしろアメリカ、イギリスを中心にした連合国の内部では、連盟の失敗から教訓をくみとって、第二次世界大戦後の国際秩序の建設に役立てようという意識が濃厚でした。


具体的には、既に第二次大戦中から、新しく普遍的な国際機構をつくり、連盟に代えようという動きが始まっていたのです。

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         <pubDate>Sat, 19 Nov 2011 14:15:25 +0900</pubDate>
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         <title>連盟の限界と時代的制約</title>
         <description>国際連盟は、少なくともその公にされた目的からいえば、国際関係において道義が支配する世の中をつくることを目指した最初の試みでした。


しかし、当時の状況(欧州の指導者たちの政治哲学、アメリカの議会などの問題意識)では、権力政治の要素を全く無視してしまうことは、そもそも非現実的でした。


当時の国家のどれ一つをとっても、連盟に対して、限定的にしても国家主権の重大な制限をともなう権力を譲り渡す用意はありませんでした。


ところがその点についての冷静な認識は、とくにウィルソン大統領の場合には決定的に不足していたようです。


その結果、連盟は、肝心な軍事面においては、国際関係の動向に有効な力を発揮することはできませんでした。


規約第}6条は、連盟が国際的に軍事力を組織する可能性を残していました。


・・・しかし、現実にはそうなりませんでした。


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         <pubDate>Wed, 19 Oct 2011 14:14:55 +0900</pubDate>
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         <title>課題とリーダーが人を動かす　3</title>
         <description><![CDATA[考えるのはおっくうだし、動くのはめんどう。


でも<a href="http://www.smart-time.info/?mode=cate&cbid=833167&csid=0" target="_blank">ハミルトン カーキ</a>などブランド時計がほしい。


何とかやらないで済ませられないものかと、頭をひねります。


多かれ少なかれ、誰でもがこの両面を持って日々生きているのだと思います。


・・・もちろん私もそうです。


それでいて平気な顔をしていられるのですから、我ながらあきれてしまいます。


「人を道具として」の人間観の下では、人びとの道具カを最大限に引き出す工夫と同時に、その所有者である人間のだめさ加減をいかに抑え込むかに工夫がこらされて、「人びとと仕事とのかかわり合い」の場が構築されてきました。


「人を人として」の人間観の下では、人びとにその人間力を求めるので、もう一方の本性・・・


つまり素晴らしく生きていきたいという自らの願いにいかにアプローチしていくかによって、「人びとと仕事との係わり合い」の場が構築されることになるのです。


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         <pubDate>Sun, 25 Sep 2011 12:49:02 +0900</pubDate>
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         <title>課題とリーダーが人を動かす　2</title>
         <description><![CDATA[その目に見えないものに、人びとは感動し、共感していくのです。


人びとの魂に語りかけうるものは、リーダーという人聞の心であり、熱い思いです。


企てられた策ではありません。


計算はニの次、三の次に位置します。


そろばん片手に、人びとの心を揺さぶり続けることはできません。


逆な立場で考えればすぐわかることですよね。


いわんや、事務的なつじつま合わせであってはなりません。


人間は、矛盾した本性を持ち合わせて動いています。


素晴らしく、燃えて生きていきたい。


創造的に仕事に挑戦していきたい。


意味のあることをして、社会に貢献したい。


みんなの期待に応えて業績も上げたい。


そう思う一方で、楽をしたい。


<a href="http://store.shopping.yahoo.co.jp/mikawatk/a1d4mbma1d.html" target="_blank">時計 ジェイコブ</a>などブランド品がほしい。


他人よりもうまい思いをしたい・・・。

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         <pubDate>Thu, 25 Aug 2011 12:47:53 +0900</pubDate>
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         <title>課題とリーダーが人を動かす</title>
         <description>人びとが動くのに大きく作用するものは状況です。


それに関連してもう2つ、「課題」と「リーダー」の存在を追加しなければなりません。


・・・いわば、人びとと課題との相互作用、心と心の相互作用です。


挑戦的な課題は、人びとを生々しい状況に直面させ、人びとと状況との相互作用を促進していくことに機能します。


その課題ゆえに、それを達成しようとする途上で、いままでは見えなかった、あるいは新しい状況と出会うからです。


ある精機工機工場における諸活動の課題のことごとくが、これでした。


もちろん、ここでいう課題とは、それが人びとにとって達成したいものになっているものを指しています。


形式的、事務的なものではありません。


リーダーという人間の存在については言うまでもないのですが、人びとと状況との相互作用、課題との相互作用をもたらすのも、けっきょくは、大もとはリーダーなのです。


問題やトラブルが発生する。


あるいは顕在化する。


・・・それへの対応の中に、リーダーという人間の心と、リーダーを通じてその組織集団の文化が現れてきます。

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         <pubDate>Mon, 25 Jul 2011 12:47:01 +0900</pubDate>
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         <title>企業の変革、社会の変革　2</title>
         <description>第三に、企業のような管理能力はまったく持ってはおらず、マネジメントについてはど素人です。


このような事態に立ち上がった学校運営の責任者の勇気ある動きが、私が知っているだけでも十を数えるくらい報告されています。


それらは例外なく、問題を大きく取り上げて、生徒を中心とした関係者全員の前に、その状況を生々しくさらけ出し、それを共有することを出発点としているのです。


このような、学校再生への出発のありかたは、行き着くところまで行った学校運営の背水の陣から生まれた大技であると思います。


この点、企業が学校運営から学ぶべきところは大きいと思います。


問題がなければ、こちらから起こせばよいでしょう。


問題を起こせとは乱暴な話だと思われるでしょうが、問題が起きるのは、そこにそういう素地があるからであって、そこに点火をするだけのことです。


潜在しているものを顕在化させるだけのことです。


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         <pubDate>Sat, 25 Jun 2011 12:46:22 +0900</pubDate>
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         <title>企業の変革、社会の変革</title>
         <description>ある中規模の精密機器メーカーの副社長が一昨年くれた年賀状に、


「昨年は&quot;消防&quot;に明け暮れました」


・・・とありました。


トラブルの&quot;火消し&quot;、つまり助けに飛び回っていたという意味です。


この人は人格的にも素晴らしく、また組革研にも関心の深い人だったので、私はてっきり、昨年の&quot;消防&quot;を悔み、&quot;火付け人&quot;への転換を、彼はこの年賀状で語っているのだと受け取っていました。


・・・ところがそれは誤解で、相変わらず&quot;消防&quot;を続けていたらしいことを後で知って心配していたら、昨年の年賀状に、「いま業績が創業以来の最悪です」と書かれており、ご苦労のほどを偲ばせていました。


組革研では、&quot;火付け&quot;がリードの常道になっています。


荒廃する学校の変革も、&quot;火&quot;を大きくすることによって成功しています。


今日の学校運営の大変さは、企業の比ではないと思います。


第一に、最も脱社会現象の激しい層の大勢の子どもたちを抱えています。


第ニに、企業は従業員にお金を払う立場にあり、まだまだ生殺与奪の権を多少は握っていますが、学校の頼みの綱は受験競争だけです。

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         <pubDate>Wed, 25 May 2011 12:45:21 +0900</pubDate>
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         <title>環境保護は今後どのように展開されるべきか</title>
         <description><![CDATA[まず、日本の今までの自然保護に関する法・行政の具体的な制度の、開発や国土計画、地域計画、各種の産業政策などとの対応を、総合的に把握することが必要です。


さらに将来にむかって、現在まですすめられてきている日本の自然環境保全の法的システムや具体的な自然保護行政の成果を、それと相反すると考えられやすかった地域計画・都市計画・自然開発と対比してみる必要があります。


その上で、新しい時代に対応してのまちがいのない自然環境保全の法的・行政的な整備が必要です。


日本はユーロ・シベリア大陸の東端に位置し、北は北海道から南は琉球列島に至るまで南北3000キロメートルの長さにおよび、日本列島は自然環境がきわめて多様です。


そこに生育・生息する植物・動物その集団としての人間の活動も含めた生態系は地球の他のどの地域に比較しても多彩です。


将来にわたって、私たちが、まちがいなく地球の他の地域の人たちとの共存を前提にしながら、限られた国土でより豊かに、より健康的に発展し生きのびてゆくためには・・・


それぞれの地域の実態にそくした新しい自然環境の保全・維持が具体的に計画・実施されなければなりません。


これはいつも<a href="http://soka-butudan.jp/" target="_blank">創価学会 仏壇</a>など仏具の前でお祈りしています。


首都圏・近畿圏など、人口が一点に過度に集中している日本の現代の社会状態は、生態学的にはアンバランスといわざるを得ません。
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         <pubDate>Sun, 10 Apr 2011 13:04:45 +0900</pubDate>
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         <title>資料整備と住民</title>
         <description><![CDATA[30数億年の生命の発展の歴史を見るときに・・・


たとえ一時的にどれほど、刹那的な条件に迎合したとしても、ある集団・ある社会・ある種のみが突出した時には、次に来るものは自然のゆりもどしであり、予想以上の大きな破綻、深刻な荒廃・消滅です。


私たちが明日に向かって、まちがいなく生きのびるためには、人間の生存環境・自然環境を、すべての町や村、県や国、地球上において維持・確保することが必要です。


そのためには、最低限の新しい時代に対応した科学的知識の普及が必要でしょう。


そして、それぞれの知識を高めるために、町にも村にも県や国のそれぞれの場所にも、総合的に十分な調査研究、資料の整備、知識の普及・教育のための措置が必要です。


今後きめの細かい、地球的システムにつながるそれぞれの地域の生態学的・自然科学的な現地調査・研究が進められるでしょう。


しかし、これらの資料が整備され、それがだれにでもすぐに見られる公開の原則にしたがって、国はもとより、都道府県・市町村においても十分な新しいシステムに則った資料の整備がなされることが基本となります。


そして、このような知識とデータを活用して、まちがいなく生きのびるためには、各地域の市民層の意志と実行力が必要です。


民主主義の現代において重要なことは、すべての市民・県民・国民の意志が多様です。


それぞれの願望や活動が異なっていたとしても、限られた地球上で、国土で、それぞれの地域で、明日に向かって生きのびるために、<a href="http://www.rakuten.co.jp/auc-e-seedlings/" target="_blank">野菜 種</a>を守るなど生存環境を保持し、それが既に失なわれている所ではうばい返すために共通の努力をすることです。

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         <link>http://ermionline.com/2011/03/post_28.html</link>
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         <pubDate>Fri, 11 Mar 2011 13:03:48 +0900</pubDate>
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         <title>科学的知識の普及</title>
         <description>現在ではまだ、生態系の生きた構築材料・生物集団を基本にした自然利用や保全に関してのまちがいのない社会的な保障・約束ごとが十分に確定されていません。


限られた国土を、地球を、将来にわたって人類生存の基盤・文化の母胎として、保全していくことが要請されています。


しかし、それぞれの場所、自然環境、植生の許容範囲の枠の中での利用、人間社会と自然の共存をめざす場合に、各地域における自然の人間の干渉に対する抵抗力を基本とした規制が必要です。


自然の利用と保全のために、今日、法制度の果たすべき役割・課題は大きいのです。


・・・人間の欲望はつきるところがありません。


それは生物学的には生存のあかしであり、生活の維持のためには一つの本能的な衝動といえるかもしれません。


反面、そのような衝動的な、より便利で豊かな生活のためには邪魔物を皆殺しにし、自分だけが、自分の属する集団だけが生きようとする生き方が今大きな暗礁にのりあげています。


それは現代人の生活環境・社会が、かつて考えられられなかったほど非生物的な材料を使い、あり余るエネルギーを駆使しながら、客観的に見るならば生態系の枠をはみ出しかねないほど突出しているからです。

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         <pubDate>Fri, 11 Feb 2011 13:02:46 +0900</pubDate>
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         <title>自然の特性をふまえた社会的約束事</title>
         <description>自然は、そこに生息している動物・植物集団も含めてきわめて多様であり多彩です。


しかし、その一方で、日本列島各地はもとより、赤道直下のボルネオのサマリンダや、バリックパパンの奥地・・・


さらにカナダ東部やシベリア、スカンジナビア半島まで、私たちが行なった現地踏査の結果から見た時に、生物社会の秩序・動態は基本的には同一であると言うことができます。


熱帯多雨林から北方針葉樹林まで、あるいは自然林から徹底的に人間にふまれて裸地化しているグランドや路上のすぐそばに生育している踏み跡群落のオオバコ群落・・・


また、たえず草を取るところに生育している畑や水田の雑草群落に至るまで、生物社会・植物群落の消長の掟は基本的には全く同一です。


・・・重要なことは、多様な自然環境あるいは植物・動物集団ではありますが、私たちが今後生きのびるためには、出来るだけ自然の生産効率を高める・・・


また積極的に利用することも考えなければならないことであり、それを可能にする条件があるということです。


自然利用の限度、将来に対しての維持・保全のあり方については、生態系のシステム、植物群落の存続・発展の掟にしたがって、その枠の中で個々の対象の特性を踏えた施策を行なうべきです。

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         <pubDate>Tue, 11 Jan 2011 13:01:26 +0900</pubDate>
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         <title>倒錯した人間主義</title>
         <description><![CDATA[農夫は土地にしばりつけられることによって奴隷であるとルソーは言いました。


よく完成した装置（<a href="http://openstandia.jp/services/opensso/index.html" target="_blank">OpenSSO</a>のようなもの）や、よく発達した組織はそこで働くものにとっては、農夫の土地のようなものです。


それから離れることによって仕事能力を失うことをおそれねばならないのは労働者の方なのです。


この100年の間に、労働は完全に変わってしまいました。


『経哲草稿』でマルクスが、疎外された労働の極致として描きだしたものが、労働の常態となりました。


他人の定めた秩序の下で行なう労働。


人と人とのつながりから切断されぼらばらにされた職場での意識。


何よりも労動より賃金を獲得するための手段であると考える考え方で描きだしていたものです。


しかし、今日ではそれらはあまりにも一般化しすぎていて、それを労働の異常な姿とみとめる方が困難です。


・・・今日、常識的な考察から出発してそこヘマルクスの「発達」を接木しようとしたりする人々がしばしばおちいる混乱や、労働に関する不満をとりあげることより大幅賃上げの方が革命的だと考える活動家の考え方などは、このへんの見落としからきています。


問わなければならないことは、労働の領域から失われてしまったものを人間はとりもどすことができるのかどうかということなのです。


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         <link>http://ermionline.com/2010/12/post_25.html</link>
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         <pubDate>Fri, 10 Dec 2010 10:33:50 +0900</pubDate>
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         <title>せっけんの選び方　9</title>
         <description>環境内に放出された合成洗剤を処理する下水道や下水処理場の普及率は、先進諸国の中で日本は最低の水準にあります。


一方、富栄養化の原因であるリンの供給源としての合成洗剤は、肥料を除く単独商品としてはもっとも顕著です。


そのため、合成洗剤が注目されたことは当然のことなのです。


さらに、日本では概して河川が短く、内湾、内水域に恵まれているので、界面活性成分による発砲現象や汚濁現象などが問題になりました。


また、洗剤の環境内存在濃度と生体影響に関する生物学的な許容濃度水準との対照において、ひろく水中静物に対する有害性が疑惑視されるようになったことも、十分理解できることです。


以上のような実態に対する、国や自治体の行政的な取り組みは不十分で遅れがちです。


その反面、新規の化学構造をもつ界面活性剤が次々に商品化されています。


こうして、一方的に規制事実として環境内にばらまかれてきたのです。


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         <pubDate>Sat, 04 Dec 2010 11:07:53 +0900</pubDate>
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